土屋 圭示 氏

日本カブトガニを守る会会長  2008.05.10

ピカドンとカブトガニ
土屋圭示(つちや・けいじ) Tsuchiya Keiji氏の略歴


 1928年5月広島県福山市生まれ。
 1953年3月広島大学水畜産学部水産学科卒業。
 同年4月より22年間、岡山県公立中学校教師。
 1975年より9年間、笠岡市立カブトガニ保護センター勤務。
 1984年より5年間、笠岡市立神島外中学校教頭。
 1990年より7年間、笠岡市立カブトガニ博物館嘱託。


 現在、笠岡市立カブトガニ博物館運営委員・ボランティアガイド、日本カブトガニを守る会会長、岡山県原爆被爆者会副会長、笠岡市非核平和都市宣言啓発実行委員長、笠岡市神島寺間・見崎里浜づくり代表等を務める。著書に『どんがめの海』(誠文堂新光社)、『瀬戸内のカブトガニ』(学習研究社)等がある。また、小学校4年国語上教科書(光村図書)に「カブトガニ」「カブトガニを守る」が22年間掲載される。





講演レポート
ピカドンとカブトガニ
日本カブトガニを守る会会長
土屋 圭示 氏
ご意見  【講師・参加者】
講師のコメント (土屋圭示)
第16回ねっと99夢フォーラム 講師の感想文
   日本カブトガニを守る会 会長 土屋圭示
 5月に入り多忙を極め少々つかれぎみで不安のなか千葉にたどり着きましたが、主催者や雨でも足を運んでくださった参加者のみなさんに温かく迎えられ、会場の雰囲気もよかったことから気分よく90分間、「ピカドンとカブトガニ」について話すことができました。
 戦争の悲惨さや核兵器のむごさ、また小生のピカドンとカブトガニとのつながりなどを感じとっていただければ幸いです。みなさんにはどうか戦争のない平和な世の中を築いていっていただきたいと祈念します。
講演会の感想
「ピカドンとカブトガニ」の講演を聴いて、岡山行きを決意!
 いすみ市町づくり推進団体「夢・未来塾」
                代表 佐久間治行
 ピカドンとカブトガニがどう結びつくのか、最初「はてな」という感じがしていましたが、お話をお聞きし、よく理解できました。理解できたというよりも「感銘を受けた」というのが実感です。
 先生のお話は、人間愛に満ちあふれ、現代の機械に支配されたかのような状況にあっては、このようなお話しこそ、多くの人に聴いてほしいと強く感じました。私は小・中学生に野外教育や少林寺拳法を指導していますので、今まで以上に人や生きものを愛する心を育てられるような指導に取り組みたいと思います。
 カブトガニを自分の目で見たくなり、この7月、カブトガニ博物館見学を決意し、岡山に行く計画を立てています。土屋先生とカブトガニにお会いできることを楽しみにしています。
参加者のアンケートより
回収アンケート数  17枚
とてもよかった 14人   よかった 3人  まあまあ 0人
◎幼少の頃広島に住んでいた事があり、原爆のことは知っていましたが、先生の戦争体験がカブトガニ保護の活動の原点であることに感銘を受けました。また、カブトガニの印象が変わりました。
◎戦争の体験談は実体験に基づいたズシンと重い話でしたが、とても考えさせられるものでした。カブトガニの話しをユーモアを交え話される先生は、とてもやさしく正直に感情を表される方という印象を受けました。私も少しでもそのような人間になりたいと感じました。
◎先生の温かで誠実なお人柄が話しの全てから伝わってきました。感謝でいっぱいです。これからも健康でご活躍ください。
◎核兵器のむごさをあらためて知りました。
◎ 原爆体験の話しからも、カブトガニの保護の活動からも生命の大切さを感じることが出来ました。 また先生のカブトガニについて語る言葉の節々に温かい思いやりの姿勢が伝わり感動しました。
◎私は戦争も体験しておりませんし、両親も戦後生まれですのでとても勉強になりました。 また、戦時中耳にした「兵隊さん水をください」と、干拓により水を水を欲しがっているカブトガニとのつながりは感動を覚えました。また、二億年の間進化をしないカブトガニのすばらしさを実感しました。
◎私は戦争を知らない世代で、戦争や原爆というものはテレビで見たことがあるくらいでした。本日実際に体験された土屋先生の話を聞いて、私たちの世代も日本人として歴史をきちんと知っていなければならないと感じました。
◎実際に原爆を体験された土屋先生の話を聞き、そのすさまじさと悲しみに涙が出ました。また、話の随所から土屋先生の優しいお人柄がにじみ出ており感動しました。
◎カブトガニを通じて、環境について、生命について自然についてと幅広い話しが聞けたこと、さらに体験に基づく土屋先生の厚い重いが伝わってきました。
◎戦争の体験を通じて平和に生きることの大切さを教えて頂きました。